イジメはなくせます by弐月直也

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マキャベリズムとは、本来は英雄を模倣する行為でないといけない

●「マキャベリズム」とは何か③ 正義である(パート1)

こんにちわ。二月直也です。
イジメをテーマにした、
「小説 マキャベリアン」を紹介する動画の、
第5回目です。

今回は、『君主論』に書かれていることは、
「正義」である、ということを、説明していこうと思います。

そのためには、まず、
「マキャベリズム」とは、
一般に「悪」だという、意味になっているので、
『君主論』が「悪」だということが、
よくわかる言葉を、
できるだけたくさん取り上げて、
「マキャベリズム」が「悪」だということを、
より強調させてみようと思います。

では、
『君主論』に見られる「悪」の言葉。
第8章
「加害行為はまとめて一度になされなくてはならない」
第15章
「君主が自らの地位を保持したければ、善からぬ者にもなり得るわざを身につけ、必要に応じてそれを使ったり使わなかったりすることだ」
「これらの悪徳(というのは前回解説した「悪」の資質です)
なくしては政権を救うことが困難であるような場合には、
そういう悪徳にまつわる悪評のなかへ入り込むのを恐れてはならない」
第17章
「必要があって誰かの血を流さねばならないときには、
都合のよい正当化と明白な理由とを掲げて、
これを断行しなければならない」
第18章
「闘うには二種類があることを、知らねばならない。
一つは法(法律やルールですね)に拠り、
いま一つは力(つまり暴力ですね)に拠るものである。
第一(の、法律)は人間に固有のものであり、
第二(の暴力)は野獣のものである」
「第一のものでは
非常にしばしば足りないがために、
第二のものにも訴えねばならない。
そこで君主たるものには、
野獣(暴力)と人間(法律)とを
巧みに使い分けることが、必要になる」
「狐の(ようにズルい)業をより巧みに使いこなした者こそが、
よりいっそうの成功を収めたのであった。
だが、必要なのは、この狐の性質、
これを巧みに潤色できることであり、
偉大な偽装者にして隠蔽者たる方法を会得することである」
「君主たる者に必要なのは、
先に列挙した(善の)資質のすべて
(前回紹介した、これです)を
現実に備えていることではなくて、
それらを身につけているかのように見せかけることだ。
いや、私としては敢えて言っておこう。
すなわち、それらを身につけてつねに実践するのは有害だが、
身につけているようなふりをするのは有益である、と。
だが、そうでないことが必要になったときには、
あなたはその逆になる方法を心得ていて、
なおかつそれが実行できるような心構えを、
あらかじめ整えておかねばならない」
「(君主は)政体を保持するために、
時に応じて信義に背き、慈悲心に背き、
人間性に背き、宗教に背いて行動することが必要なので、
人間を、善良な存在と呼ぶための事項を、
何もかも守るわけにはいかない。
またそれゆえに彼は、
運命の風向きや事態の変化が命ずるままに、
おのれの行動様式を(悪にも)転換させる心構えを持ち、
先に私が言ったごとく、
可能なかぎり、善から離れることなく、
しかも必要とあれば、
断固として
悪のなかへも入っていくすべを知らねばならない」

だいたい、これが「悪」を勧めている言葉です。
なぜ、マキャベリは、
このような「悪」の行いを勧めているのか?
何がマキャベリに、こんなことを言わせるのでしょうか?
それは、
第18章には、
こう書いてあります。
「人間がみな善良であるならば、
このような勧告は善からぬものになるであろう」と、

つまり、マキャベリは、
私たちと同じ、善良で善悪の判断がつく人間なんで、
悪いことは悪いことだと、分かっています。
それでもあえて、「悪」をする重要性があると、
説いています。

何も好き好んで、
このような「悪」を、推奨しているわけではありません。

その理由は、
人間の中には、
人を騙したり、危害を加えようとしてくる悪いやつもいるから、
そういう人間が現れたとき、
「善」の行いだけでは、自分の身を守れない。

自分を守るために、
何らかの対策をとらなければならない。

そういった場合おいては、
「悪」を用いることを、躊躇していてはいけない。
ということを言っています。

だから、
悪いことをする方が、強くて有利だから、
場合によっては悪いことをやりましょう、
という、積極的なノリではないのですよ。

「悪」の行いが、「善」の行いをする者よりも、
しばしば強いという事実も、
人の世の真理であると、認めているだけです。

その上で、
悪いことをするやつらから身を守るには、
どうすればいいのか、ということが、
マキャベリが、本当に伝えたがっていることなんです。

私たちが、悪いことをやるようにしむけたり、
悪人が悪いことをやるのに、都合のいい口実を与えるために、
『君主論』が書かれたのではありません。

悪いことをやる理由なんて、
『君主論』なんか読まなくても、
悪いことができる人間は、
勝手にたくさん思いつきますから。

反対に、
そういう者たちから、自分の身を守ったり、
それを防ぐための方法は、
どうすればいいのかを正しく知る人は、
ほとんどいないんです。

そのために、悪い人間のほうがより有利になって、
善良な人間では、太刀打ちすることができずに、
悪いことをする人たちに負けてしまって、
世の中全体が悪くなってしまうのです。

それを、
させないために、
どうすればいいのかを、
マキャベリは、君主のために、
国のために、みんなのために、
模索し続けたのです。

そのために、
耳障りのよい、きれいごとではなく、
現実に、おこっていることを直視しました。
第18章
君主が信義を守り、言行一致を宗とするならば、
いかに称えられるべきか、
それぐらいのことは誰にでもわかる。
だがしかし、

「経験によって、私たちの世に見てきたのは、
偉業を成し遂げた君主が、
信義などはほとんど考えにも入れないで、
人間たちの頭脳を
狡猾に欺くすべを知る者たちであったことである。
そして結局、
彼らが誠意を宗とした者たちに
立ち優ったのであった」

要するに、
現実では、
正直な人間よりも、
ずるくて悪いことができる人間のほうが、
往々にして、成功してしまっている、ということです。

それはなぜなのか、
マキャベリは考えました。
それは。
第17章
「人間というものは、恐ろしい相手よりも、
慕わしい相手のほうが、危害を加えやすいから」であると。

これを裏返して言うと、
「慕われるよりも
恐れられていたほうがはるかに安全である」

ということになって、

人間には、
怖いものを恐れるというメカニズムがあるから、
ならば、
自分が恐れられる側になれば、安全だと考察しています。

ここまでをまとめると、
駆け引きに長けた者のほうが、
正直な者を出し抜くことができて、
善良な人間よりも、悪人の方が安全である、
という、現実があるということです。

しかし、
「悪」の行いばかりを使った場合、
大きな、難題にぶちあたりました。

それは、
必ずしも、
そういった「悪」を使う人間が、
安全に政権を保持し続けられたわけではない、
ということです。
第8章
「(ある君主は)残虐の限りを尽くしたあとで、
自分の祖国に身を置き、いつまでも安全に生き延びたり、
外敵の侵入をふせいでみせたり、
同朋の市民のなかから、謀反を起こす者も出さなかったのに、

同じ残虐な手段に訴えながらも、
多数の他の者たちが、
戦乱の疑わしい時代においては言わずもがな、
平和な時代においてさえ、政権を保持できなかったりした」

つまり、
歴史上、
「悪」の行いに頼る人の多くは、
一度は天下を取ることができたとしても、
その権力を維持し続けることができずに、
部下に寝首をかかれたり、
民衆に謀反を起こされたり、
外国から攻められて殺されてしまったというケースが多かった。

それは、なぜなのか?
マキャベリは、考えました。

そしてその理由が、
「悪」の行為の使い方に、
原因があることを突き止めたのです!

長くてすいません。
次につづきます。

 


マキャベリズムとは何か①(正反対の2つの意味がある)

 

 

でも、目的のためには手段をえらばない。(つまり極悪非道な方法で成し遂げる)

という、悪の意味になってしまっている。

 

極悪非道ではなく、正しい(と言うと語弊があるが)暴力の使い方を教えているのが、

「君主論」で、

どんな場合にそれを使うかを、わかりやすく書いているのが、

僕が書いた小説「マキャベリアン」です。

 

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